手元の古い記録から、本日は木造車が闊歩していた時代の遠州鉄道をアップしてみます。
管理人が私鉄デンシャを求めて全国を放浪するようになったのは1980年、既に遠鉄は湘南顔の30形ばかりで沿線も住宅地でしたから、足が向くことはついぞありませんでした。
84年夏だったか、国鉄浜松工場で機関車や事業用車の公開イベントがありました。
普段は食指の動かないこうした催しでしたが、展示の「目玉」だったED18にまんまと誘われて出向くことに。その道すがら、せっかく浜松まで来たからと西ケ崎まで往復、ED28始めデンシャを少々撮ってオシマイ、これが遠鉄との唯一の縁という体たらくでした。
▲無料のイベントにも拘らず多数が展示された。今はバカ高いのばかり
さて先ずはこちら、モハ1形。
1922年の電化開業時にデビューしたオリジナル車で、鈍重な印象ながら前面やドアのRが何とも優雅です。30形に追われる形で引退した後も、電機代用で70年頃まで生き残りました。
▲いずれも遠州西ケ崎 1963年?
垢抜けない湘南顔のクハ61は、遠鉄初の全鋼製車。
彼がモデルになってこの後の30形に影響を与えたと言われています。ナニワ工機の手になる相方、モハ15は事故に遭ったようで拉げています。
管理人世代だと遠鉄の象徴といえば、この30形。
機器流用車から完全新車まで1958-78年の長期に亘って製造され、最大勢力になりました。
モハ1形と同時期、1923年に登場したモワ200形。既にその任務をEDに譲り、引退久しいようです。
まだ小口の貨物輸送華やかなりし時代で、電機も当然在籍。
延べ3両がいたED21形はそれぞれ出自も経歴も違い、1号機は日本鉄道自動車製の自社発注機でした。
2号機は西武からやってきたお馴染みの東芝戦時設計形。
この他、今も工事用として生き長らえるED282がいました。福井鉄道に嫁いだお馴染みのED213(福井デキ3)はまだ遠鉄に入線していませんでした。
ところで遠鉄といえば風変わりな切符を思い出します。
めっぽう目立つ赤数字を配したこの様式は、他に例がありません。地方私鉄共通ではなく、自社独自の「えんてつ」地紋を守る所にこの地の老舗としてのプライドを感じます。連絡切符もバラエティに富んでいました。
▲早くから金額式が採用された
▲最後の硬券は第一通り駅
現在なら「ありがとう○○○」とお祭り騒ぎになるところですが、名の知れた軽便鉄道・奥山線の廃線時には無料の「しおり」が配布されて終了。何ともささやかなものでした。
▲当時としては珍しい公式の記念グッズ
浜松工場の公開、私も行きました。EF66901を同じアングルで撮っています。現役バリバリでどこにでも転がっていたEF60やEF65なんかは対象外でした。
返信削除モハメイドペーパーさん
返信削除展示車両が多くて見応えがありましたね。
EF63とEF59が同じフレームに入るのは何ともな違和感でしたが、主目的のED18以外にもクモル23やクエ28など変り種もいて楽しめました。
この頃は無料のイベントが多かったようで、この直前にも米原機関区に出向いています。今のバ○高い割にはセセコマシイ(展示するものがないのでしょうけど)催しにはちょっと食指が動かないです。