2020年9月6日

眠れる名作の発掘 その10


▲東武鉄道 曳舟 1959-4

かつて駅や駅前広場は恰好の遊び場であり、学校が退けるやランニング姿に裸足+ズックで走り回って、これに飽きると近くの駄菓子屋や神社へ。50代以上の方なら多少なりともそんな経験があるのではないでしょうか。

・・・という訳で、今回はこの時代の点景をアップしてみます。
時は1959年(昭和34年)、これから襲来する高度成長時代の前夜ともいうべき頃でした。
▲京成曳舟 1959-4

京成電鉄200形は1931年生まれ。
60年代後半からの全金属車体への更新を皮切りに、その後の度重なる機器の交換が功を奏し、新京成に嫁いでからも長く活躍します。

▲いずれも京成曳舟 1959-4

京成の新性能化は早く、あちこち撮り歩く頃には「青電」は既に絶滅危惧種。辛うじて眼にすることができた吊掛け車は200形でした。
▲いずれも日暮里 上:1975-10 下:1974-8

200形の兄弟車、500形もその後更新されて1980年まで在籍しました。
▲京成曳舟 1959-4

管理人も繰り返し観た「三丁目の夕日」を始め、映像の中のこの時代は美化されて良いところばかりが強調されます。

街と人との接点の広さ、希望とエネルギー、寛容と人情。
一方で埃だらけの道、危険と不便、不条理と汚穢・・・記憶の断片を辿ってみると、決して美しい時代ではありません。

しかし、この直後にやって来る怒涛の時代に得たものと失ったもの、果たしてどちらが多いのか、その答えは永久に出ないでしょう。
▲京成曳舟 1959-4

2 件のコメント:

  1. モハメイドペーパー2020年9月7日 22:15

     1954年というと私は中学2年で、京成電車は日常の行動圏から外れた遠い世界でした。このころ、確か曳舟の駅近くにあった原模型店を尋ねて行ったことがあります。扉位置が両側で食い違っている電車が珍しかったですね。

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  2. モハメイドペーパーさん

    左右非対称は200・500形の特徴でしたね。この時代の京成は愛嬌のあるデザイン(小型なのにガニマタ、どことなく頼りない車体)で好きな電車でした。

    私も同じく「近くて遠い路線」だったせいか、日暮里で何度となく見ていたのに碌な記録が残せませんでした。新京成では80年くらいまで古い京成タイプが残っていましたが、こちらは更に「遠くて遠い路線」でしたので、マトモな写真を撮ったのは大学生になってからでした。

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