▲181系「とき」 上野 1975-10
新幹線博多開業に伴う1975年3月のダイヤ改正は、関東の鉄道少年にとって大事件でした。「月光」「つばめ」「はと」「しおじ」「山陽」といった名列車の全滅、「あかつき」「彗星」の24系化・・・憧憬の対象が一気に消えていく中、かといって大阪や岡山へ出向く術もなく、鉄道誌の特集記事を貪り読んでウサを晴らすしかありませんでした。
一方、関東の優等列車網は逆に充実強化され、特に上野口の特急列車はバリエーションが一段と華やかになりました。忍び寄る新幹線を横目に、それはまるで消える間際の線香花火のような、「灯滅せんとして光を増す」を体現するような、最後の一閃だったのかも知れません。
▲特急「あけぼの4号」 尾久-赤羽 1980-5
さて、次は上越線です。
上越線の看板列車と言えば「とき」であることに異論はないでしょう。
1962年に登場した「とき」は上越線初の特急にして181系のデビュー列車。東北線の「ひばり」と共に14往復を誇ったL特急の代表格でした。
▲いずれも高崎 上:1977-8 下:1976-2
▲上野 1977-5
新製間もない183系1000番台。
真新しさはありましたが、サシの連結がありませんでした。この後急速に181系の領域を侵食していきます。
▲高崎 1974-12
次は信越本線です。
管理人世代にとっては、やはりここは181系「あさま」になるでしょう。一時期20往復を誇った長野特急の象徴は1997年の新幹線開業と共に廃止、「ヨコカル」もレールもろとも消えていきます。
▲軽井沢 1974-3
▲高崎 1974-12
「あさま」の基本は181系ながら、1975年に189系に統一されるまで間合い運用の489系や489系200番代なども見られました。
▲上野 1975-1
▲高崎 1975-6
上信越線下りの優等列車専用ともいうべき高崎駅1番ホーム。
新幹線開業後は役目を失い、現在は1番線そのものが廃止されてしまいました。
温泉特急「白根」や羽越線経由秋田行の「いなほ」も外せません。「白根」は東海道線の「あまぎ」と共に、157系最後の仕事でした。
▲上野 1973-9
▲上野 1978-9
金沢夜行を務めるのは伝統列車の「北陸」。
戦後も落ち着かない1950年に早くも急行として登場、長い旧客時代が続いた後は75.3改正で20系化、更に78年に14系化されます。新幹線開業後も細々とながら2010年まで余喘を保ちました。
「ひたち」は1969年の運転開始当初はキハ81による季節列車でした。
その後のダイヤ改正の度に本数や運転区間を徐々に拡大、常磐線の看板列車になっていきます。
▲いずれも上野 上:1973-9 下:1980-5
この頃、寝台列車や新幹線を除けば「白鳥(大阪-青森)」、「まつかぜ(大阪-博多)」に次ぐロングランでした。1日1往復、食堂車やグリーン車も併結された堂々の13両編成は特急の名に相応しい列車ですね。
▲上野 1978-9
常磐線の夜行列車といえば「ゆうづる」です。
最大7往復を誇り、最後のC62牽引特急としても名を馳せました。C62ラストナンバーが赤いヘッドマークを付けた晴れ姿をご記憶の方もいるでしょう。
▲いずれも上野 上:1975-1 下:1975-7
エスコートした電機も欠かせません。
管理人世代にとっては何といっても「EF80+20系」が思い浮かびますが、残念ながらヘッドマークは1973年から外されてしまい、復活する頃には既にEF81に交代していました。
▲いずれも上野 上:1978-9 下:1980-5
多くの鉄道少年らは1978年に到来する「ブルートレインブーム」に狂奔し、その波に乗って昼行特急も一躍人気者に伸し上がります。TVや雑誌はこぞって特集を組み、列車を舞台にしたミステリーが売れ、「○○大百科」なる本が相次いで発行されました。
しかし、時あたかも国鉄解体へと突き進むスタート地点、相次ぐストライキと減量ダイヤ改正によって国鉄離れに拍車がかかり、同時に多くの列車が消えていきます。それと前後してブームの熱狂も潮が引くように消えていきました。
泡沫のブーム去りし後もそのままデンシャを追い続けた者、忘却の彼方になった者、管理人のように追う対象が変わった者。辿る途はそれぞれ、しかし上野が脳裏に深く刻まれた存在であることに変わりはないでしょう。
鉄道開業150周年となった今日ですが、写真の中で残るは駅構内と列車名だけでしょうか。
返信削除もちろん配線整理や新幹線召し上げという変化は生じていますけど、ほとんど休むことなく運行続けられてきたのは需要に対する供給使命が第一にあるかと思われます。
ただ、この先200年となった時点でその概念が残っているかはいささか疑問。
もっともそれを見届けることなく、当方もいつか潰えてしまうのでしょうねw
12号線さん
返信削除上野も東京も新幹線で大変貌しましたが、「踊り子」以外の普通特急が来なくなった東京は寂れるどころか構内構外とも再整備で相変わらず活況ですね。片や上野は「四季島」発着などはあるものの東京ほどの華やかさはなく、やはり夢の跡という感覚が拭えません。こちらの判官ビイキもあるのでしょうけど、もう少し上野の立ち位置というか、方向性何とかならんものかと思ってしまいます。